数学?と世界について
- goose
- 2024年1月27日
- 読了時間: 4分

2024年1月27日ふと1/3×3ってなんで1なんだろうと疑問に思った。数学は左から計算するから先に1÷3である1/3を計算して0.3333…になる。
だから0.33333…かける3は0.99999…じゃん、1じゃないじゃんって思った。
だが無限に続く0.99999…は終わることがなく永遠に続くので1とイコールであるという考えらしい。
じゃあそもそもこの世に無限ってあんの?なかったら1=0.99999…って間違いじゃね?つまり数学だめじゃね?と考えた。あと同時に0ってこの世にほんとにあんの?とも考えた。
自分の考えた結果は2つの考え方があるんじゃね?ということになった。
①1つはこの世界が0から生まれたという考え方。これは0という始まりがあるので始まりがあれば終わりがあるという考え。0は終わりでもある。0という始まりであり終わりが明確にあんじゃんということ。
始まりと終わりがあるという0=有限という考え。
0=有限
世界がこの生まれ方なら数学の間違いということになるはず。だって有限であって無限はないんだから。0.9999が無限ではないのでどこかでとまり1とはならない。
②もう1つはこの世界が1から生まれた場合で0からは生まれていないという考え方。これはもとからなにかしらがあったということなので終わりもない。もし1がいつか0になる世界なら0が存在するじゃん、大前提の「1からこの世界が生まれたという考えであるので0から1は生まれてないじゃんという考えと矛盾するのでつまり0は存在しないはず」という考え方。1が世界の最小であって0はない。
0という終わりがないので無限の世界。
1=∞
さっき話した数学の1/3×3=1は無限につづくものは1とみなすものだった。0.9999…は無限に続くから1とみなせるということ。
つまり1=∞
なので数学的には②の考えかたをしていると思われる。
しかし数学には0あんじゃんと疑問が出てきた。
そこで自分は世界は0という世界と1から生まれた世界という2つの世界があるんじゃね?と考えた。そうすると0という概念は残りつつ1から生まれた世界が説明できる。
そもそも「絶対」と「相対」という2つのものが非常に重要だと考えていて「絶対」は絶対なんだから互いに干渉できないものじゃんと思っていた。「相対」は今自分たちが生きている世界は相対的なものだなと感じていた。じゃあ「絶対」はどっかにあるんだろうけどどこにあるんだろうとずっと疑問に思っていた。
そこで干渉しない2つの世界である0と1が結びついてきた。
つまり0が「絶対」の世界で1が「相対」の世界だ。
現在の数学はたぶんこの2つの世界、「絶対」と「相対」の世界を前提にルールとしたのでは?と考えた。以下この「絶対」と「相対」の2つの世界があるという考えを③とする。
0=「絶対」
1=「相対」
たぶん自分たちが今生きている世界は②の1である「相対」な世界でそれとは別に0である「絶対」の世界もあるんだろうなと思った。
なんだかんだ0と1ってパソコンの原理とかで根底なので今自分たちの意識があることや人工知能の進歩から考えると③の考えが合っているんだろうなと思った。①の考えかたは「相対」と「絶対」の概念がないので違うと思う。
ちなみに③の考えの0は①の考えの0=有限と違って∞かもしれないしそうでもないかもしれない。それは今んとこ自分にはわからない。
1と0ってめちゃくちゃ重要で全然違うものなんだなって1/3×3の疑問から気づいた。
まとめると
・①の可能性は低く③の考えが一番実際の世界と近いのでは?
・数学は0(絶対)と1(相対)の2つの世界があるという考えをもとにしているのでは?
・「絶対」の世界は無限か有限かわからんが「相対」の世界である自分たちの生まれた世界は無限なのでは?
という考えに至った。
まぁ実際のところどういう考えで数学が発展してきて実際は世界がどうなっているかはわからないがたぶんこんな感じじゃないだろうか?
ちなみに根本に2つの世界があるってだけで自分たちの生きている相対的な世界には複数の世界がある(または作れる)と自分は思っている。
なんだか1/3×3でここまで考えることになるとは思わなかったな。
虚数の正体に関する推測となぜ1-(-1)=+2になるかも前に考えて納得いく考えができたのでよかった。
ただ単純に「数学でルールだから」では自分は納得できないので。
まぁ①の「この世界はすべて絶対で相対ではない」という可能性も否定はできないけどそれはかなり低いと思う。
Commentaires